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無いなら作ればよい
親の諦めない、福祉事業者の諦めないが、
子どもたちの可能性を広げる


















菊池 利哉
昭和50年6月12日生
和歌山県和歌山市出身
1998(平成10)年。私はある町の社会福祉協議会でホームヘルパーとして働いていた。当時の障害者福祉は措置制度。市町村担当者が福祉サービスの必要性を決め、ホームヘルパーなどを派遣する。現在の介護保険制度や障害者自立支援法に比べると、理不尽な福祉現場だった。その後、地域福祉の相談員となった。福祉サービス、障害年金、生活や家族のことなどいろいろな相談が寄せられた。地域には困りながら生活している人がたくさんいると認識しながらも機械的に事務的に取り組んでいた。あの日がくるまでは・・・・。
岐阜新聞 掲載記事 岐阜新聞生活版 より抜粋・・・
障害のある子どもたちとその家族を支え、地域に根ざした多様な福祉サービスを展開するNPO法人『夢んぼ』。
今回は理事長の菊池利哉氏に、事業に込めた想いや大切にしている価値観、そして若い世代が活躍できる職場づくりについて伺った。
菊池 利哉さん(理事長)
日本福祉大学社会福祉学部卒業
大学の研究過程を経て市町村行政に携わる。プライベートでは二児の父。
重度の障害をもつ長男が生まれたことをきっかけに2002年(平成14年)に任意団体『夢んぼ』設立。2004年(平成16年)11月、NPO法人として認証を受ける。
当団体では、未就学児を対象とした児童発達支援から放課後等デイサービス、生活介護、就労支援まで幅広く展開し、市町村事業である地域活動支援センターや計画相談支援などの運営も担っています。
直接的なきっかけは、重度の障害をもつ長男を授かったことです。
当時、私は行政で福祉の仕事に携わっていましたが、いざ「親」という当事者の立場で見つめ直したとき、わが子を預けたいと思える場所がどこにもありませんでした。
「資格や書面を整えるための福祉」という既存の仕組みに、子どもたちを無理やり当てはめているような現状に強い違和感を抱いたんです。
「ならば、自分の子どもを心から通わせたいと思える場所を自らつくろう」と考え、設立に至りました。
私が活動を始めた2002年当時は、まだ「障害福祉サービス」という概念すら浸透しておらず、具体的な施策もほとんどありませんでした。
支援費制度がスタートする前年ということもあり、業界全体が手探りの状態。
その後、設立から10年が経過した2013年頃に「障害者総合支援法」が施行され、ようやく制度としての形が整ってきた印象です。
当時は「この仕事では食べていけない」と言われるほど低賃金で、従事者にとっては厳しい時代でした。
一方で、サービスの供給が圧倒的に不足していたため、存在そのものが地域から切実に求められ、感謝される時代でもありました。
現在は、国の制度が追いつき仕事として十分に生活が成り立ちますが、逆に事業所が「選ばれる」立場となり、求められる質や期待も高まっています。
競合が増え、クレームも発生しやすくなるなど、現場の空気感はこの20年で大きく様変わりしましたね。
まず、経営の勉強を全くしていなかったことですね。
資金繰りと言われてもよくわからず、35万円だけを握りしめて起業したので「これは給料も払えないな」とすぐに気づきました。
当時は市町村事業だったので給付金請求から1ヶ月で入金がありましたが、それでも資金繰りが大変でした。
また、NPO法人は信用保証協会の対象外だったため、融資を受けられなかったことも苦労した点です。
さらに行政からは「福祉のニーズを掘るな」と言われました。
障害のある子どもたちのニーズを掘り下げると、課題が次々と出てくるから手をつけるな、と。
このように行政からは喜ばれるどころか、むしろ止められることが多く、行政がそんな姿勢だから福祉は良くならないんだと思っていました。
その悔しさが、公的な枠組みに捉われない今の『夢んぼ』の原動力になっています。
当団体が目指しているのは『制度に頼らない福祉』です。
私は、今の福祉制度がベストなものだとは考えていません。
例えば放課後等デイサービスにしても、本当は地域の学校や塾、習い事に通えるならそれが一番のはず。
しかし、障害という理由で選択肢を奪われ、消去法で当団体へ来る子もいます。
つまり、ここは本来「好まれて来る施設」ではないんです。
福祉とは誰もが必要とせずに済むなら使いたくないものであり、やむを得ない状況があるからこそ利用するもの。
だからこそ、いつか制度を使わなくても良い状態、すなわち「自立」へと繋がる希望の光を見せることが、私たちの真の役割だと思っています。
そのためには、ただ安全にお預かりするだけでは不十分です。
障害ゆえに経験の機会を逃してきた子どもたちに、健常児と同じような選択肢や体験を徹底して提供し、本人の可能性を広げる「成長の場」をつくること。
それを通じて生活の質を高めていくことこそが、私たちが存在する最大の意義だと考えています。
「できる・できない」という判断を早く下しすぎないことです。
「できない」と「やっていない」は意味が全く異なります。
障害があることで「やったことがない」だけなのに、それを「できない」と決めつけてしまうのは、その子の可能性を奪うことに他なりません。
私自身も障害児の親なので、「この子はこれは無理だろう」とブレーキをかけてしまいそうになる場面はもちろんあります。
しかし、支援のプロとしては、逆に「挑戦させる側」でいなければいけない。そう肝に銘じています。
『脱福祉』という価値観の原点は、わが子が1歳6ヶ月の時に障害者手帳を取得した際のことです。
「一生返せないだろう」と言われましたが、手帳を返すくらいの心づもりで、制度に頼らず自立して生きていけるようにすること。
それを一つの大きなテーマに掲げてきました。
わが子は滑脳症という脳性まひを重度化したような障害があり、生まれた当初は「一生寝たきりで、一生笑わない」と言われていました。
しかし、24歳になった今では笑うこともハイハイすることもできます。
これは、本人の興味・関心が大きく影響しているのだと思います。
愛情を注ぐなかで、さまざまなことに興味・関心を持てるようになり、気になるからこそ近づきたいという思いがハイハイにつながり、愛情に応えたいというのが笑顔につながったと確信しています。
これからは次世代の若い人たちが主役となり、彼らの「こうしたい」を実現できる現場をつくっていきたいと考えています。
私も50歳になり、次世代の福祉従事者をどう育てるかが大事だと感じる年齢になりました。
現在、障害福祉の現場で働く人の平均年齢は65歳を超えており、5年後・10年後には担い手がいなくなるという強い危機感があるからです。
また、この業界には長く「お局文化」のような古い体質が残っていましたが、そうした負の側面を打破し、次世代を大切にする文化を根づかせることが私の使命だと思っています。
まずは、若い職員が安心して活躍できる環境づくりです。
当団体の正職員の平均年齢は35~36歳ほどで、業界内でも際立ってフレッシュな組織です。
キャリアの浅いメンバーが多いことによる大きな課題は、保護者との関係性です。
福祉事業所では、ある程度年齢が高く経験のある職員の方が信頼される傾向にあります。
そこで、現場経験の長いベテラン職員が保護者対応をフォローし、若い職員が現場で力を発揮できる体制づくりに努めています。
他には、『Kのつぶやき』という週1回のメッセージ配信を通じ、保護者の方へ私の福祉に対する考え方や若手を育てる意義を伝えています。
実は創業当時と異なり、今の福祉現場は職員が「ありがとう」と声をかけていただく機会が減り、モチベーションを維持しにくい環境にあります。
だからこそ、私はあえて保護者の方へ「私たちも人間です」「感謝の一言で、私たちの動きも変わります」といった本質的なメッセージを伝え続けてきました。
結果、今では多くの方が共感し、若い職員を応援してくれるようになりました。
この取り組みによってクレームも減り、大きな手応えを実感しています。
そうですね、職員の健康に関してはとても大切にしています。
誕生日休暇、計画年休、週休2日制を徹底することに加え、残業ゼロを掲げています。
実は、こうした環境づくりに本腰を入れたきっかけは、高校2年生になる次男の言葉でした。ある職員に「お父さんみたいに忙しい人にはなりたくない。健康を考えない働き方は嫌だ」と話していたそうなんです。
兄に障害があるために、幼い頃から多くの制約があったであろう次男から「自分の働き方」を否定されたことは、私にとって何よりの衝撃でした。
自分自身は使命感を持って働いているつもりでしたが、それが周囲、特に家族から見れば不健康で、決して模範的なものではないと突きつけられたんです。
自分と同じような働き方を職員に強いてはいけないとハッとさせられました。
そこから、組織として健康と働き方に真剣に向き合うようになりました。
具体的には、業務の効率化を徹底し、マッサージなどのケア体制も導入。
結果として、月100時間近くあった残業を20時間まで減らすことができました。
当団体は、いわゆる「仲良しグループ」のようなアットホームな職場ではありません。
福祉は命を守る仕事であり、私たちはそのプロです。
プロとして向き合う責任を、中途半端な言葉で濁したくないと考えています。
プロとして仕事をしてもらいたいので、にわか仕込みの知識ではなく、きちんと学び、「制度」と「心」の両方を大切にできる方に来ていただきたいです。
制度に守られて給料をもらうだけでは、本当のプロにはなれません。
ビジネスとしての福祉だけでは不十分で、「公的な仕組み(制度)」を正しく活用する知性と、目の前の利用者を想う「心」。
その両方を融合させてこそ、本当の支援ができると考えています。
この2つのバランスを取りながら、利用者のために自ら考え、動ける人材を育てていきたいです。
